白洲正子とわたし

白洲正子との出会いは高校時代にさかのぼる。当時から読書感想を通じてつながりあう「読書メーター」というSNSを利用していた私は、白洲正子の『かくれ里』の存在を知り、地元の書店でちょっと奮発して講談社文芸文庫の『かくれ里』を手元に迎えた。

かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

かくれ里 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

 

 だがお世辞にも頭がいいとは云えなかった私は、本を開いて数ページで挫折してしまい、いつか読めるようになることを願って、高校卒業後に『かくれ里』とともに上京した。

 
大学生になった当初は西洋史を学んでいたため、『かくれ里』を手に取るきっかけもなく、ほとんど新品に近い状態で本棚に眠っていたのだが、三年生になって異体字の意味もわからぬまま日本古代史ゼミに転向すると、いよいよその契機は遠ざかった。
当時はアカデミックな場で歴史を学び、一字一句を確かめながら史料を紐解いていたため、民間伝承の類いは好きだったものの、伝説や逸話の類いを非論理的に並べ立てて好き放題に書き記した本には辟易していたのだ。
特に当時は龍蛇にまつわる神話や伝承に関心があったこともあり、そうした本と遭遇することは日常茶飯事だった。荒俣宏や吉野祐子を読んで怒りを覚え、二度と読むまいと心に誓ったのも、今となっては懐かしい思い出だ。
そういう頭の出来のよろしくない私も、恩師や先輩方の元で日々鍛えられ、レポートや卒業論文の参考文献として参照すべき本を自分で見つけられるようになっていった。資料を見分ける目を培っていただけたことは、大学生活を通して私があずかった最大の恩恵だったと云っていい。そのような分別がついてから再会したのが白洲正子だった。

 

その糸口を開いたのは、興味本位で受けた和歌の入門講義で、まだ若々しい講師の和歌に対する熱意をひしひしと感じ、彼がもっとも気に入っているという歌に私も惹かれて、新古今和歌集にまつわる本を読んでみようと、白洲正子の『花にもの思う春』を手に取った。

花にもの思う春―白洲正子の新古今集 (平凡社ライブラリー)
 

自分の専攻している歴史にまつわる本ではアレルギー反応が出てしまうのだが、文学という学問ジャンルは専門外ということもあり、また幼少期より趣味として文学に親しんできただけあって、当時の私には両者の間にしっかりとした区分けがあって抵抗が少なかったのだ。


その歌とは

639 志賀の浦や遠ざかりゆく波間よりこほりて出づる有明の月 藤原隆家朝臣

であり、白洲正子は次のように記している。

「志賀の浦や」の歌にも本歌がある。「さ夜更くるままにみぎはや凍るらむ遠ざかりゆく志賀の浦波」(後拾遺集——快覚法師)を受けているが、この本歌があるために、琵琶湖の岸べが凍って、波が遠くの方へ退いて行く風景を知ることができる。その遠くの波間から、冬の月が登る景色を歌っているのだが、全体からうける感じは冷たくはない。本歌はあっても、その本歌を定家のように自在に料理するのではなくて、それを自分のものにこなした上で、たとえば「有明の月」の情趣をそえるのが家隆の歌風であった。

 

この知性を感じさせつつも、豊かな感性をたっぷりと含ませた女性らしい筆致に私は夢中になった。それから白洲正子に導かれるように新古今和歌集を購入し、古今集万葉集と読むようになった。
白洲正子との再会は思わぬ形で実現し、私はほっと安堵した。このまま食わず嫌いになってしまっていたら、私の読書人生にとって、どんなに大きな損失をこうむっていたことだろう。

 

大学を出てアカデミックな場を離れ、しばらく経つとアレルギー反応も以前と比べて少なくなり、やがて忘れもしない2016年9月17日、携帯電話を家に忘れて同行者と連絡が取れなくなった私は、彼が先に新幹線に乗ったと勘違いして、切符も持たずに松本行きの新幹線に飛び乗ってしまった。そのとき携えていたのがあの『かくれ里』だった。
同行者がどこにいるかもわからないまま、不安と焦りにはやる気持ちを抑え、ただひたすらにページをめくった。すると金剛寺に納められている「日月山水屏風」にまつわる記述と出会った。

作者は誰ともわからないが、私にはなんとなく、この辺に住んだ坊さんが、毎日山を眺め、修行しているうちに、ある日感得した大自然曼荼羅のように思われる。夏の山は、この近辺の景色だろうし、冬は葛城の雪景色であろう。滝が描いてあるので、那智を写したという説もあるが、山の姿はなんといっても葛城であり、この山中には滝もたくさんある。別に特定の場所ときめる必要はないが、先年巡礼の取材で槇尾山へ登った時、山上からの眺めが、あまりよく似ているので、私は驚いた。今述べたことは、その時漠然と感じたものを記したにすぎないが、巧くいえない。自然と芸術の間には、作者だけしか知らない密約のようなものがあるに違いない。

ただならぬ不安に駆られながら車窓の景色を眺めれば、普段暮らしている関東平野とは全く違う、山の連なり合う景色が広がっていた。以前の私であれば引っかかってしまっていたであろう、この白洲正子のぼかしたようなもの云いによって、目前の眺めと屏風に描かれた山水とが重なり合い、私は不思議な感覚にとらわれた。まるで彼女とともに旅をしているようだった。
果たして松本駅についてみれば、彼がまだ東京にいるということが判明し、私は二時間ばかり彼を待つ間にこの本を読んだり、車窓から見た景色を思い出してスケッチしながら過ごすことになった。
この珍道中の道連れとなった『かくれ里』は、他のどの本よりも強く私の印象に残っている。かつて感じたことがない焦燥感に苛まれながら読んでいたために、三年経った今では忘れている箇所もあるが、この本とともに旅したことは終生忘れることがないだろう。

 

それからは白洲正子の考え方や生き方そのものに惹かれるようになり、生涯の師を得たかのように彼女の本を読むようになった。古書店で見かけるたびに蔵書に加え、文芸書を読む気になれない時や、彼女の感性に触れたいときに本棚から取り出して無心に読む。するとあの時ともに旅した感覚が今でもよみがえってくる。


そうして今日も思うのだ。白洲正子がもし現在まで生きていたら、観光立国を掲げて観光第一にひた走る、今の日本のあり方をどう考えただろうか、と。