古本祭2018 雑感

 本読みの人間にとって、十月の末から十一月初頭にかけてという季節は、心中穏やかではない季節である。

 神保町古本祭である。

 常日頃から、本の町として名高い神保町に、日本中の古本屋が出店を出し、既存の店舗もいつも以上に力をいれて、大放出を行う。文字通り、本のお祭である。私も本を読むようになってから、毎年欠かさずに足を運んでいる。

 本稿では、今回私が購入した品々の一部とそれに関する所感、紹介を行いたい。

 

 

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・『久保田淳著作集』

 東京大学名誉教授にして、日本学士院会員、更に文化功労者である、日本中世文学(のみならず、もはや日本文学全体の)大家、久保田淳の著作集全三巻。「西行」「定家」「中世の文化」の三巻。

 どの論考も驚くほど、基礎が徹底されている。なにも論として飛躍がないのに、読んでいくと飛躍が感じられる、見事な論の数々。

 管見ながら、日本文学研究者の中でも、専門の時代のみならず全時代に目を配り、研究の枠組みを超えるだけの学識と迫力を持つ研究家がいると考えているが、久保田淳はそのお一人。

 ちなみに他には、鬼籍に入られているが、池田亀鑑、秋山虔小西甚一西郷信綱前田愛。存命の方ならば、長島弘明、中西進三田村雅子、そして久保田淳はそれだけの仕事をなされたように思う。

もしも日本文学に興味を持たれた方があれば、

三田村雅子源氏物語

 

源氏物語―物語空間を読む (ちくま新書)

源氏物語―物語空間を読む (ちくま新書)

 

 

・久保田淳座談会

 

久保田淳座談集 心あひの風―いま、古典を読む

久保田淳座談集 心あひの風―いま、古典を読む

 

 

・長島弘明『雨月物語の世界』

 

雨月物語の世界 (ちくま学芸文庫)

 

 ・西郷信綱『日本詞華集』

 

日本詞華集

日本詞華集

 

 

 

 

は読んで損をさせない。

 

 

四方田犬彦李香蘭原節子

映画研究家であり、文学研究家であり、宗教学者であり、月島研究家でもある四方田犬彦。先日『月島物語』を読んだが、これがおもしろい。東京都江東区の月島という町は、今でこそもんじゃが有名な下町の代表とされているが、それが実はいかに近代の歴史の中で人為的に作られた虚構の産物なのか、そしてどういう変遷をたどってきたのかを、著者の生活や文学・映画の豊富な具体例とともに語られる快著。

そして、表題作。原節子といえば小津安二郎作品などに代表される日本映画史に欠かせない大女優である。「永遠の処女」などと謳われ祀り上げられたが、実は第二次世界大戦中にはナチスとの合作であるプロパガンダ映画にも出演したこともあり、戦後にはそういったものが巧妙に隠蔽されながら、彼女の神格化は進んでいた。そして、日本人離れした美貌と体躯は、日本人が欧米に対する劣等感と憧憬を一身に引き受けたともいえる。

そういった日本人の精神性「原節子李香蘭」という二人の女優を通してみる四方田らしい渾身の作。

 

 

月島物語 (集英社文庫)

月島物語 (集英社文庫)

 

 

 

山の音 [DVD]

山の音 [DVD]

 

 

 

・安東次男『風狂始末』『古美術の目』『おくのほそ道』

戦後を代表する詩人であり俳人の安東次男。

圧倒的な古典和歌、俳諧の学識に基づいた実作はすばらしいが、個人的には批評、随筆が好みである。

詩を評するということは、小説を評価する以上に難しいと思っている。小説より行間の広い文芸で、評者の文学体験、人生経験、価値観がダイレクトに出る。

その点、安東次男の鑑識眼はゆるがない。

 

・ペトラルカ『凱旋』

 中世イタリアに於いて、『神曲』のダンテ、『デカメロン』のボッカッチョに並び称される詩人、思想家ペトラルカ。

 ペトラルカとボッカッチョとの往復書簡で、ダンテに関して述べているが、ペトラルカのダンテへの態度は複雑である。

 近代に抗って中世を残したダンテ、近代抒情詩の生みの親ペトラルカ、近代散文を切り開いたボッカッチョ、三者三様である。

 

室生犀星『抒情小曲集・愛の詩集』

 詩と小説というものがある。詩人と小説家という仕事がある。時に二者は分かたれ、時に混淆する。殊に日本文学に於いては、和歌と物語は手を取り合って発展してきた。それが近代の百年ちょっとで喪失されたと非難する向きもある。

 しかし、そんな近代にあって、犀星はその両方を自在に羽ばたいた作家だった。

 金沢という田舎で、北原白秋に心酔し東京に憧れ、やがて状況。萩原朔太郎とともに切磋琢磨し、表題作を編む。しかし、やがて小説家へと転じる。

 

 この「転向」について論じるのは難しい。しかし、たとえば、犀星の最も良き読者ともいえる富岡多恵子はその名もずばり『室生犀星』の中で、彼の小説には詩的精神が横溢しているという喝破する。

一方で、詩人 西脇順三郎は詩集『えてるにたす』の序文で、

  室生犀星は『室生犀星全詩集』で『永遠』という言葉を捨てたと聞く。私はそれを拾つてこの詩人の霊のために『永遠』という言葉を出来るだけ多く使つて一文を草した

と書く。私はこれを詩を捨てた犀星への西脇一流の皮肉ととらえている。(ここで私はそれを拾って詩を書いたというのがエスプリがきいていて良い。)

 

更に、富岡多恵子も同じく詩作と作家を横断した人物だが、多恵子の友人で、詩人の白石かず子は多恵子の晩年の代表作『ひべるにあ島紀行』を指して、詩を捨てたと思っていたが、この小説には詩人富岡多恵子が息づいていると激賞を嘆じた。

 

私は全く詩作ができないが、室生犀星『我が愛する詩人の伝記』という、犀星の詩人論では、散文で、しかも評論なのにも関わらず、すべてのページにおいて、一片の狂いもない詩的な日本語が連なっていることに瞠目するほかなく、優れた散文家は優れた詩人だなと痛感させられる。