沈黙しない読書会と直後の読書会~『熱帯』をめぐって③~

沈黙しない読書会と沈黙しない直後の読書会
 ~森見登美彦『熱帯』をめぐって③~

 

 以前の『熱帯』に関する記事はこちら

森見登美彦『熱帯』をめぐって - パセリ流星群

森見登美彦と太宰治~『熱帯』をめぐって②~ - パセリ流星群

 

 

 夏の嵐のように過ぎ去り、冬のひまわりのように面妖な二日間だった。

 あの二日だけ、私の日常からぽっかりと遊離して、今でもどこかをふわふわ飛び回っているような、そんな感覚である。

 

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https://books.bunshun.jp/articles/-/4536

 

 

 森見登美彦『熱帯』から生まれた謎は紙面を飛び出し、読者たちを更なる冒険へと駆り立てた。

 

2018年12月15日土曜日

『熱帯』に関する公式イベント「沈黙しない読書会」

2018年12月16日日曜日

『熱帯』に関する非公式イベント「沈黙しない直後の読書会」

 

 

 

 この二つが立て続けに開催された。両方に一森見ファンとして参加する幸福に浴せた私はまたとない『熱帯』の渦に飲み込まれていくのである。

 

 books.bunshun.jp

 

2018年12月15日土曜日

「沈黙しない読書会」

 

 この名称は『熱帯』中に登場する「沈黙読書会」に由来する。

 出版元の文藝春秋社によって開催され、なんと著者 森見登美彦氏その人まで参加する前代未聞の読書会である。

 参加条件は、「『熱帯』と聞いて、あなたはどんな本を想像しましたか?」という質問に答え、厳正なる抽選をくぐりぬけること。(仄聞するところによれば、倍率は5~6倍だったらしい。)

 

 無我夢中で書いた解答が功を奏したのか、はたまた人生の運を使い果たしたのか、ともかく当選の報が舞い込んだのは、例年よりも厳しい師走の風が吹きすさぶ12月の頭だった。

 雀躍して、『熱帯』をはじめ他の森見作品も再読しながら会を待ち望んだ日々はあっという間に過ぎていく。

 

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 遂に当日である。会場は麹町 文藝春秋本社。

 親譲りのせっかちで、開場の15分前に到着してしまった。そわそわしていると、係の方が当日つける名札を渡してくれた。

 

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 結局、開場時間になる頃には半数近い方が列をなしており、私はひとり己の性急さを慰めた。

 

「開けゴマ!」

 

 文藝春秋サロンである。

 

 

  

 約40脚の椅子がずらりと。

 自由席ということで、どこに座ろうか、あそこは登美彦氏に近そうだなどと下品な考えに沿って席を選んだ私に対して、なんとも粋なことを考えられる方もいらっしゃるものである。

 

 

 昭和文壇の大御所菊池寛像もお出迎えである。

 考えれば、今日ここにいられるのは『熱帯』を読んだことや当選したことなど「恩恵の彼方」だなとほくそ笑んだりした。

 

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 14時。登美彦氏登場である。

  

 最初からそこにいたかのような摩訶不思議な登場だった。

 全員が固唾を飲んで、歓声を送っての登場だったはずなのに、ふわっと。狸に化かされたような気がした。

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 担当編集の方による丁々発止な司会と狸の尻尾みたいにふわふわとした登美彦氏のお喋り。

 会場は時に笑いになびきながら、時に驚きに揺れながら、ゆっくりと『熱帯』の海へと漕ぎ出した。

 

 

 来場者は私を含めて全部で40人。8人ずつ5グループに分かれて、それぞれの考える『熱帯』最大の謎について話し合う運びとなった。各班で一つ謎を絞って、それを登美彦氏にぶつけてほしいとのことだ。

 

 私は『熱帯』の構造について。他の方々は、満州という森見作品らしからぬ地が登場することや人物の謎など、種々謎が飛び交った。(この時の興奮は幾ばくだったろうか!これだけ多くの人があの『熱帯』を愛し、それについて夢中で話し合っている…!)

 そんな中、一つ、誰もが瞠目した意見がお一人の口から飛び出した。

 

 表紙に関する謎である。

 『熱帯』のカバー表紙には、『熱帯』と思しき本と文章が描かれている。軽く読んでみると、確かにそのようなシーンがあったことは誰でも思い起こすことができるだろう。

 しかし、その方曰く、なんと『熱帯』の当該箇所と比較すると、微妙に異なると仰るのだ。(気になった方は是非P.340~341と表紙とを比較していただきたい。)

 

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 いよいよ各班一つずつ、謎を投げかける。(質疑応答内容は私の走り書きと記憶を基に、参加者諸賢のツイート等を参考にさせていただきながらまとめました。厳密には異なる箇所等あるかもしれませんが、ご容赦ください。また、責任は全て私に帰します。何かお気づきのことがございましたら、ご一報いただけますと幸甚です。)

 

 最初の質問は、「白石さんとはどのような存在か?作中では『千一夜物語』を読んでいない珍しい人物。実在感がないようにすら思える」

 

 これに対して登美彦氏。

〇「白石さんは実在しないというイメージでは書いてはいないが、みんな消えていってしまっている。

つまり、語り手となった人物は次章から登場しないというのである。

第一章の語り手「森見登美彦」は二章以降登場しないし、第二章の白石さんも、第三章の池内さんも。

みんな、誰かを追いかけているつもりが、知らない間に『熱帯』に飲み込まれている。

 

 佐山尚一←千夜さん←池内さん←白石さん

 

 そして、飲み込まれたあとは皆どうなっているかわからない。唯一、佐山尚一だけはその後を書いた(第5章と後記)。

イメージはだまし絵でおなじみのエッシャー『メタモルフォーゼ』。」

 

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https://bijutsutecho.com/magazine/insight/18015

 

 そう言われてみれば本当にその通りで、確かに語り手たちはどんどん消えてしまっている。そして、その後を描かれた佐山尚一。

 『夜行』に思いを馳せたのは私だけではないだろう。

 

 

更に登美彦氏。

〇「この作品は、ある一人の人間について、通時的ないしは深く描いたというわけではなく、複数の人の人生のある側面を組み合わせて作った物語。つまり、『熱帯』に入りこんで、そのあと別の人生、世界へ向かうという側面。」

 

 

 これまたなるほど。確かにみんな『熱帯』との出会いからそこに飲み込まれるまでの「瞬間」が切り取られている。(但し、佐山尚一だけはその後も描かれたというのは先ほどの通りである。)

 

 ドイツのノーベル賞作家、トーマス・マン魔の山』と『ブッデンブローク家の人びと』という二つの代表作があるが、これらがまさにこの好対照といえるのではないだろうか。

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 『魔の山』はサナトリウム(山の中の病院)での7年間の生活を描くものだが、群像劇のように複数の人間の闘病生活が描かれる。これは正に結核という病に関する側面を集めた物語で、死んだり退院したりという病の後は描かれない。但し、主人公だけはその後が描かれるという点でも重なるところが多い。

 

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 一方、『ブッデンブローク家の人びと』はタイトルの通り、ブッデンブロークという一族の物語で、その一族が親から子へ、そのまた子へと通時的に描かれる。複数の側面の集合ではなく、単一の複雑な立体というべきものである。(これに触発されて書かれた、どくとるマンボウでおなじみ北杜夫『楡家の人びと』は私の最も愛する小説の一つである。)

 

 古今東西、様々な文学があり安易な二分法は危険だが、この「複数の側面の集合」と「単一の複雑な立体」という分け方は適用範囲が広いように思う。

  そういえば、森見登美彦作品では『四畳半神話大系』、『夜行』など、前者に属する作品が多い。

 

 

 さて、続いての質問である。

 次は我々の班であり、例の「表紙の『熱帯』と実際の『熱帯』とは異なるが、それは正に『熱帯』の異本のようなものなのか」という質問。

 これには登美彦氏も編集の方もにやりと笑われた。

 

〇曰く「『熱帯』という作品は執筆段階から、異本といってもいいくらいの様々に異なる原稿が存在していたという。たとえば、第三章から第四章への転換では、池内さんが本棚を突き破って熱帯の海へ飛び込んでいくパターンもあったというのだ(!)。

 

 そして件の表紙については、実は『熱帯』の作品よりも早く表紙を作ることになったために、その時点での『熱帯』を利用したという。

 表紙が作品よりも早い段階でできたので、登美彦氏はその表紙をパソコンの壁紙にして、作品のイメージを膨らませた。物語の最終盤で表紙に関する描写があるのも、表紙があってのことだった。」

 

 

 これはこういう読書会ならではの裏事情というか、一読者としては知る由も想像するよすがもないような秘密である。

 それこそ『熱帯』はもともと雑誌連載であって、以前高橋源一郎パーソナリティのラジオ「すっぴん!」でも語られていたように、連載と単行本とでは大きく異なるらしい。

 ついては一刻も早く文藝春秋さんには連載時のものから種々の異稿までもを網羅にした『熱帯 完全版』とでもいうべき一冊を上梓していただかねばなるまい!

 

 あるいは、異稿をまとめた『亜熱帯』のような本も待たれる!

 

 

 続いての質問はずばり「佐山尚一って何者?」

〇登美彦氏曰く、「第四章に登場する佐山尚一(ネモ君を助けてくれたり、時に敵対するあの佐山)と、他の佐山尚一とは別人のつもり。

 それは、小説家が小説を書き上げるまでのようなもの。

 

 つまり、小説家というのは小説を書き上げ、それが世間に流布して認知されるまで何者でもない、只の人で、小説の原稿も紙にインクの染みがついたただの紙束である。その時、作者には名前がないし、原稿にも名前がない。

 しかし、それが出版されたときにはじめて、作者は名前を取り戻すことができ、原稿にもタイトルという名前をつけてあげることができる。

 だからこそ、ネモ君は初め名無しで、書き上げた時に名前を取り返せる。」

 

 

 なるほど。だからこそこの一文があるのだろう。

 「それでは君を『熱帯』と名づける」

森見登美彦『熱帯』文藝春秋 2018.11 P.495 ※以下、『熱帯』と表記。)

 

 

 そして、ミシェル・フーコーというフランスの思想家のある言葉も思い出す。

 

  もしある個人がいわゆる作家ではないとしたら、その人が書いたり語ったりしたこと、その人が紙の上に残したこと、その人の談話として報告されることは、《作品》と呼ばれることが果たしてできるのか。サドがまだ作者ではなかったあいだは、彼の書き残した紙片はいったい何であったのか。獄中の日々、彼が自分の妄想を際限もなく書き連ねた巻紙ということになってしまうのか。

 

  ある言説がある作者名を戴いているという事実、「これはだれそれによって書かれた」とか「だれそれがその作者だ」と言いうる事実は、この言説が日常の無差別的な言葉、消え去り、浮遊し、通過してしまう言葉、即座に消費してしまう言葉ではなく、一定の仕方で受けとられ、一定の文化内で一定の身分をあたえられてしかるべきということを示しているのです。

ミシェル・フーコー清水徹豊崎光一訳)『作者とは何か?』 哲学書房 1990.9) 

作者とは何か? (ミシェル・フーコー文学論集)

作者とは何か? (ミシェル・フーコー文学論集)

 

 

 

 ちなみに石原千秋『教養として読む現代文学』では、三島由紀夫仮面の告白』をこのフーコーの論文から読み解く。

 サド、三島由紀夫といえば、『サド侯爵夫人』で、『サド侯爵夫人』といえば、『豊饒の海天人五衰~』の逆バージョンとして『豊饒の海』の謎を解く鍵と名高いが、今は踏み込まない。十分踏み込んでいるだろというツッコミも受け付けない。

 

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 話を戻そう。作者と創作の話だった。

〇更に続けて、「登美彦氏自身も書いている時は、さまざまなアイデア、インスピレーションを統御しながら書いている。それはさながら「虎」のようなもの。

インパクトのある虎は頼もしい存在だが、あまり野放しにすると食い殺されてしまう。

 ちょうど『LIFE OF PIE』という、虎と少年が漂流する映画に近い。その映画では、少年が虎とともに筏で漂流する。時に頼もしい味方でありながら、油断をしたら食い殺されてしまう。だから、うまく制御しながら共に海を渡らねばならない。そして、無事に渡りきったあとには、虎はひとりジャングルに帰ってしまう。登美彦氏はそこで号泣した。」

  

 

 

 創作する人間には誰にもインスピレーションが降ってくるという神がかり的なものがあるだろう。まさにそれのことを指したのだと思うが、それを虎に喩えたり、『山月記』になぞらえたりするのには恐れ入る。

 個人的にはダンテ『神曲』のダンテとウェルギリウスを思い起こした。

 作者でもある詩人ダンテが地獄、煉獄、天国を巡るという、中世イタリア、さらには世界文学を代表する大叙事詩である。

 ダンテが地獄と煉獄を旅する際に、古代ローマの詩人ウェルギリウスが導き手として先導してくれる。ダンテもウェルギリウスもともに詩人で、ダンテは彼から多くのインスピレーションをもらうのだが、時に叱責されたり、時には甘えすぎるあまりに冷静な判断ができなくなったりと、適切な距離感をなかなかとることができない。

 しかし、天国へ赴こうとする頃には、ダンテは詩人として独り立ちし単身天国へと足を踏み出すのだ。

 そういえば、『熱帯』のこのエピソードの引用元になっている中島敦山月記』も、李徴と袁傪という二人の詩人の物語で、芸術家の葛藤が見られる。虎というモチーフは正鵠を射ているのだろう。

 

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 閑話休題

 いくつかの質問とそれに対する登美彦氏の解答を列挙していこう。

 

 「暴夜書房の店主って誰?」

〇曰く、「偽物の佐山尚一(先述の四章の佐山)と同一人物の可能性が高い。」

 

 「苺は本当にポジティブな食べ物なのか?」

〇曰く、「登美彦氏自身の御祖母様の言。家族が風邪を引くとよく苺をくれた。」

 

この質問は、

イチゴはポジティブになる食べ物だから

(『熱帯』P.100)

という白石さんのご岳母の言を踏まえてのものであろう。

 

 「池内さんが、芳蓮堂の裏口から出るシーンで咲いている向日葵はなに?」

〇曰く、「連載時の名残のようなもの。」

 

  まだ二月だというのに庭の隅に向日葵が咲いているのです。

(『熱帯』 P.167)

 

 「世界の果てとは何か?」

〇曰く、「『ペンギン・ハイウェイ』と『夜行』と『熱帯』はつながっている。それぞれ世界の果て、謎を中心に据えた作品群で、カフカ『城』のようなイメージ。

 たとえば、『太陽の塔』でも謎めいた場所は書いたが、中心ではなくあくまで周縁だった。李白さんの電車も同じ。しかし、『ペンギン・ハイウェイ』、『夜行』、『熱帯』はそれが真ん中にある。だから、『ペンギン・ハイウェイ』の海と『熱帯』の海とはつながっているかもしれない。

 これからはその謎が解体されて、散らばっていくような気がする。」

 

 「戦後の満州という土地が登場したのは珍しいが、何か意図があるのか?」

〇曰く、「登美彦氏の御祖父様がまさに満州の文官屯にいた。登美彦氏にとって、御祖父様の時代のことは、半ば歴史であり、物語で、いつか書きたかった。

 長谷川健一(西域)→永瀬栄造(満州)→永瀬栄造&海野千夜(日本)というシルクロードのようなラインを作ることで、『千一夜物語』発祥のアラビアと一本の線で結ぶことができた。」

 

 「節分祭はどういうイメージか?」

〇曰く、「節分祭は京大の門の前にも出店が立ち並ぶ。日常の風景が一変するようなお祭である。お祭は妖しい雰囲気で、あの世とこの世との境目があいまいになる時間である。

 そして吉田山というの京都な中で、遠目に見るとぽっこりと浮かんだ島のように見えるため、ぜひとも登場させたかった。」

 

  「柳さんが登場するが、『宵山万華鏡』や『夜行』など、同じく彼が登場する他作品との時系列はどうなっているのか?」

〇曰く、「時系列は厳密に考えていない。登美彦氏にとって、登場人物たちはスターシステムのようなもので、この役割ならこの人に出てもらうというイメージ。

柳さんは不思議な世界の番人のような役割が割り振られていることが多い。」

 

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 刺激的な質問と解答が交わされる中、私も思い切って質問をさせていただいた。

 伺いたかったのは「遠景と近景、その果てにある太陽の塔について」である。

 当日は質問ということもあって、可能な限り手短に済ませたが、せっかくの記事なので、ここでは私の意見も交えながら、少し長く質問文を紹介させていただきたい。

 

 この作品は、近い距離と遠い距離との描き分けが印象的である。特に、近い距離というのは文字通り身近な、日常的なこと。一方、遠い距離は、神秘的な、特に作中の『熱帯』を暗示するような不思議な描写が多い。

 いくつか例を挙げよう。

 

  私はポテトフを食べながら夏の奈良盆地をぼんやり眺めた。こってりとしたクリームのような入道雲が青い空に浮かび、遠方の山々は未知の大陸のように霞んでいる。眼下の街に散らばる濃緑の森や丘は、南洋に浮かぶ島々のようだった。

(『熱帯』 P.12)

→ここでは近景に「ポテトフ」「自宅」という極めて日常的な光景が描き出され、遠景にはまさに作中の『熱帯』を暗示する二重写しの光景が広がる。

 

  丸ノ内線の駅から出ると、両側にビルの建ちならぶ春日通りには、忙しく自動車と人が行き交っていた。(中略)白石さんは叔父からもらった鉄道時計を取りだした。

(『熱帯』 P.73)

  正面にずらりとならんだベランダの鉄柵が複雑な曲線を描いているのが芸術作品のようだった。

(『熱帯』 P.75)

→手元には時計の中でも特に精密な鉄道時計。日常生活、現実感の表象。一方で、非現実の空間である千夜さんの家は遠くに見え、「芸術作品のよう」なのである。

 

  白石さんは溜息をついてガラスの向こうに目をやった。夕陽に煌めく丸の内ビルの谷間からは皇居の森が見えていた。暮れゆく空の底が燃えるように明るく、ラウンジから見える情景はなぜか「海」を強く感じさせた。

(『熱帯』 P.103~104)

 

  その夜景に目をやった白石さんが、ふと向かい側のビルに心惹かれた。(中略)それはまるで暗い海に浮かぶ夜祭りのようだった。

(『熱帯』 P.108)

 

  会話の最中、栄造氏はたびたび遠くを見るような目つきをした。その視線は僕を貫き、はるか地平線の彼方を見つめているようだった。(中略)その謎めいた視線を、僕は栄造氏が戦時中に暮らした満州という土地とひそかに結びつけたりした。

(『熱帯』 P.485~486)

→遠景の一つの最果て。前々稿では、満州という極限の地域から『熱帯』の一つが立ち上がってきたことの意味について論じたが、それと合わせて考えると、きわめて象徴的な一文である。先述の通り、遠景は作中の『熱帯』を暗示するとするならば、その極地が満州に結び付く。全てが結実したような一文である。

 

 さて、その極地であり、私の質問の要諦が以下の箇所である。

 

  振り返ると、暗い森の向こうに「太陽の塔」が聳えていた。

(『熱帯』 P.507)

 

 なんでもない一文である。この文章が書かれた国立民族学博物館のあたりからは実際に太陽の塔を見ることができるのだろう。しかし、これが森見登美彦作品であることを考慮するならば、意味は一変する。

 森見登美彦のデビュー作のタイトルを『太陽の塔』という。

 

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 初読時、これだけ振り回されて、物語とは?作者とは何か?という洪水のような謎に放り込まれた私に、最後の最後に投げ出されたのがこの一文だった。

 涙を流した。陶然とした。

 

 作者の登美彦氏自身はどう考えてらっしゃるのか、ぜひ訊いてみたかった。

 

〇曰く「遠景と近景については、強く意識して書き分けたわけではない。

しかし、太陽の塔については書けて嬉しかった。色々書いていくうちに、参考文献にも挙げている本の著者である西尾哲夫先生が勤めてらしたのが国立民族学博物館で、それなら太陽の塔も見ることができる。書けて嬉しかった。」

 

 白状する。質問に精一杯で、もっといえば、登美彦氏に話しかけたことに緊張したあまりで、全くメモをしなかった。あの肝心な時に。

 従って、覚書もなければ、記憶も甚だ曖昧である。もしも、どなたか鮮明に覚えておいでだったり、記録されている方がおられれば、ご一報願いたい。

 

 

 そんな最中である。

 突然、警備員の方が大声で、「失礼します!」と入室された。

 何事かと皆が訝しみ、私などはてっきり閉会の時間が来たというお知らせなのかと思った。

 

 手渡されたのは一通の封筒。

 

 

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 編集の方から登美彦氏にその手紙が渡された。

 登美彦氏すら驚きを隠せないようであった。

 

 我々にも配られた手紙はこちら。

 

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 なんと会も終わろうとしたその刹那、新たな謎が提示されたのである。

 ヒントはこのカードたち。

 

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 会場中が色めき立ち、カードや手紙に引き込まれた。

 私も無い頭を絞ったが、全く皆目見当がつかない。

 しかし、その補助線はなんと既に手の中にあった。

 それがこちら。

 

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  背表紙である。

 と言われても、なんのことだかこれまた皆目見当がつかない。

 

 結局、答えもヒントも与えられないままに、会はサイン会へと移った。(我々の冒険はまだまだ始まったばかりなのである。)

 

 なんとか解こうとない頭を捻って呻吟していた。

 ところがいざサイン会となれば現金な物で、すっかり謎のことなど忘れてしまうのである。

 

 それもそのはず。なんと登美彦氏が各テーブルを回って、サインをしてくださったのだ!!

 こんな間近で、名前を書いてくださる登美彦氏。興奮はその日の中でも最大級に高まった。

 

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 さて、その時の私は併行して何をしていたかといえば、「学団の結成」もとい二次会の手配に勤しんでいた。

 有志を募って二次会をしようと思い立ち、参加者集めと店の手配に走り回ったのだ。

幸いなことに、多くの方が賛同してくれた上に、土地勘のない私のために文春の方が店のリサーチをしてくださるなど、多くの方々の手助けで無事に二次会の手配を完了することができた。

 

 

 そういえば、サインの際、我々のテーブルに登美彦氏が来られた時のことである。

 各テーブルの上にはチョコレートが置かれていたのだが、登美彦氏は空腹をぼやかれ、サインの合間にいたずらっ子のようにチョコレートをひとつまみ頬張られた。

 それだけでもほほえましいのだが、更に、一通りサインが終わって次のテーブルに行くときには、かすめるようにチョコレートを一かけら失敬されたのだ!

 その一連の動きのなんと魅力的であったことか。

 

 鮮やかで、童心に満ちた、その茶目っ気のある動作に、『四畳半神話大系』の小津を見たのは私だけだろうか。

 

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 閉会後は、登美彦氏が一人一人をお見送りという、至れり尽くせりなサービスぶりであった。

 一人ずつ握手をして、一言二言会話ができるということで、何を言おうかと並んでいる間中、思案を巡らしていたが、結局は緊張のあまりに握手の記憶もないうえに、「太宰治感が満ちていらっしゃいましたね」などという訳の分からないことを口走ってしまったのだった。

 

 

 さて、二次会である。

 文藝春秋近くの居酒屋で、入れ替わり立ち替わり12、3人の方々に参加していただいた!私の思いつきにそれだけ多くの方が乗ってくださったことにただただ感謝の念しかない。

 しかも、みなさん、森見登美彦ファンという一玉の美徳を持っておいでなのだ。それもあって、名前と好きな森見作品の二つを発表というこんなに簡潔で贅沢な自己紹介はあろうかという挨拶から幕は開けた。(『恋文の技術』、『夜は短し歩けよ乙女』が多かった。)

 飛び交うジョークは森見作品になぞられたもので、正に打てば響く、日常の生活とは異なる言語空間なのだ。

 森見作品以外にも好きな小説やアニメの話にも花が咲き、私の偏った好みとも重なる方もいて、本当に幸せな時間だった。

 

 見てくださっている参加者の方もいるだろうから書くわけではなく、本当に今年の中でも有数に楽しい飲み会だった。5時頃から始まり、終わる頃には8時を回っていた。

 それもあっという間の三時間で、まだまだ話したりない、後ろ髪を引かれるような思いを抱えていた。

 次回の学団飲みも順調に話が運んでおり、今から楽しみでならない。

 

 

 

 さて翌日。

2018年12月16日日曜日

「沈黙しない直後の読書会」

 

 

 前日の興奮冷めやらぬ中、その日は文学YouTuberムーさん主催の『熱帯』オンライン読書会「沈黙しない直後の読書会」である。

 

  ムーさんのチャンネルには以前にもご招待いただき、『熱帯』について熱く語らせていただいたのだが、今回は生放送である。

 更には前日の会でも、明日見ますと何人もの方々に言っていただき、ますます気合が入った。

 

 

 

 相談の末、元々は私は電話出演(声だけ)の予定だったのだが、急遽映像で出演させていただくことになった。

 前日の「沈黙しない読書会」について、いま一度まとめなおし、『熱帯』の気になる箇所を再読しながら、時間を待った。

 

 直前に二人で打ち合わせをした時は、10人来てくだされば御の字、成功ですねと言い合い、しきりに時計をみやった。

 

 

 

 

 いよいよ21時。開始である。

 10人どころじゃない、常に30人も観てくれて、最終的には延べ180人の方が観てくださるという大盛況。更にコメントも常にいただけるようなありがたい状況だった。

 「沈黙しない読書会」とは異なり実際の動画があるので百聞は一見に如かず、見ていただくのが何よりも早い。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=wUi25F6HYW8&t=6229s

 

 

 あらましだけ書くと、沈黙しない読書会でもあった質問「いつ、どのように『熱帯』を読んだか?」、「あなたにとって『熱帯』の最大の謎は?」に、我々二人が答えるところから始まった。

 そこから縦横無尽に、好き勝手に話を広がっていくのは、この文章同様、更に元を辿れば『熱帯』同様である。

 その過程で、質問やコメントをいただき、それに沿って話頭はどんどん転じた。

 

 ひとつのまとめとして、当日時点での私の『熱帯』の解釈を披露させていただいた。

  簡単に紹介する。(詳しくは動画56:00のあたりからを見ていただきたい。)

 

 

 ずばり、この『熱帯』は、「ある人物」が『熱帯』という小説を書く物語である。

 その時に大事なキーワードは「記憶」である。

 

 1、2、3章でのすべての記憶に基づいて、4、5、後記は書かれている。1~3章で登場した人物、見聞きした話、情景などがすべて4章からの作中『熱帯』に結実している。

 これは正に「沈黙しない読書会」で登美彦氏が、満州やイチゴについて、ご自身のご家族の記憶と結びついていたというのと同じである。

 

 さて更に、もう一歩踏み込みたい。逆も可能ではないだろうか?

 つまり、4、5、後記を経験した人間が、1、2、3章を小説として書くということだ。

 

 ちょうど1~3章と4章~後記とで、鏡映しの関係であり、両方の世界に千夜さんも図書館長も栄造さんもいるのだ。

 4章の自動販売機、1章の遠景の描写など、どこか場違いな描写は、反対側の世界から差し込む曙光、残り香のようなものかもしれない。

 

 とすると、「創造の魔術」、「魔王」というのは、正に創作そのもの、作者のことのように思える。作品の登場人物にとっては、作品に出たい、あるいは出たくないと思ったとしても、作者の筆先一つで非出演または出演せざるをえない。ここに登場人物に選択権はない。

 創造の魔術は正にこれだ。

 

 作者によって自在に生み出され、また消されてしまうか弱い存在。

 

 実は、4章に登場する魔王すらも、1~3章によって培われた書き手によって生み出された登場人物に過ぎないのかもしれない。

 しかし、この登場人物たちが団結することで、翻って1~3章を作り出し、現実の人びとを登場人物にしてしまうこともあるいは可能なのだ。

 

 

 今まで『熱帯』の読解に際して、3章と4章との連続にばかりこだわっていた。メビウスの輪のようだという一応の結論をみたが、「鏡」ととらえることで解釈の可能性は大きく広がる。

 

 そういえば、鏡を意味する英語mirrorの語源はmiror(mirare)というラテン語で「なにかを見て、驚く」ことを意味した。これは他にも、「驚くべきこと」を意味するmiracle(ミラクル・奇跡)にも派生し、畏敬の念であるadmireにも発展した。

 人は見て、考えて、驚き、感動する。その中でも、何かの反射を見ることは深く考えることなのである。その証拠に、「反射」を意味するreflectの何個目かの意味は熟考だし、speculateも同様である。

 つまり、自分について考えるためには、自分のことを見つめないといけない。(見ることのできないものは考えられない。)だから、人間は自分を考えるために、鏡を持ち出す。だから、反射とは考えることに他ならない。

 とすると、ラカンという精神分析学者の鏡像段階という語彙まであと一歩である。

 

 また横道に逸れてしまった。

 

 

 

 続いて、印象深かったご質問を紹介したい。

 

 しおさんの「熱帯の中に出てくる海を走る列車の正体とその意味って何だとお考えですか?あの列車は何処へ向かっているのでしょう」は殊に刺激的だった。

 せっかくしていただいたのに、満足のいく解答ができなかったのは不徳の致すところだが、他の方々のコメントでやはり叡山電車だろう、ふたつの世界を往復する、不思議な世界への入口など、ヒントのようなものにはたどり着けた。

 引き続き煮詰めて、自分なりに納得のいく解釈を必ず提示したい。(その折には、こちらのサイトで発表させていただく予定である。)

 

 Yakisobaさんの「P.281の海図とは一体何だったんでしょう?」も難問だった。達磨のように手も足も出ず、辛うじて言えることは、前日の謎と関連がありそうですね~だけだった。沈黙しない読書会でつきつけられた謎とともに必ず解きたい。

 

 

 翻訳家Emily=Balistrieriさん。彼女は私の数年来の友人で、現在では彼女の翻訳に際して、いくつかアシスタントもさせていただている。特に、『夜は短し歩けよ乙女』の翻訳は我々が森見登美彦を縁に知り合ったこともあり、念願の仕事だった。

  先月無事に終わり、来年6月に出版予定である。

 

 

 動画では誰よりもコメントをたくさんくださり、動画の雰囲気を作ってくれた。本当にありがとうございました。

 

 

 続いて、阪口まなさん。彼女は私がSNS上で知り合った有数のモリミーであり、ご多忙の中、無理をいって来ていただいた。更に事前には宣伝にも協力していただき、彼女のモリミーネットワークのおかげで、より多くの方々に来ていただけた。心よりありがとうございました。

 

 他にもラパスさん、NOGISUさん、腐れ大学生さん、斜陽さん、KZNewsさん、kckd 63さん、りーやまさん、menonさん、マシマロホイップさん、sweetNihgtさん、篠原正樹さん、出町やなぎさんなど。他にも見てくださった方全員にお礼申しげます。

 鋭い質問やご意見など、本当に勉強になりました。

 リアルタイムではなく、通常のコメントをつけることも可能なので、どしどしコメントをしていただけると嬉しく思います。

 

 

 「沈黙しない直後の読書会」閉会後、しばらくツイッターの通知が鳴りやまなかった。様々な感想やいいね!が舞い込んで、冬の寒空にあって、私の心はいつまでも「熱帯」だった。

 

 

 

 

 

 

  

 

 

 

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 この二日。夢のような時間だったが、始まりはたった一冊の本だったのだ。

 

 それがこれだけ深い感動を味わわせてくれ、これだけ多くの魅力的な方々とつながらせてくれ、更に今でもまた新たな冒険への一歩を踏み出させてやまない。

 

 この二日で出会ったすべての方々に感謝。 

 「沈黙しない読書会」で出会った参加者の皆様、開催してくださった文藝春秋の皆様、二次会まで来てくださった皆様、「沈黙しない直後の読書会」を開催してくれたムーさん、見てくださったすべての方々、コメントをしてくださった方々、そして森見登美彦氏に、なによりも『熱帯』に、いま一度心からお礼を言いたい。

 

 本とはなんとすばらしいものだろう。

 

 

「小説なんて読まなくたって生きていけます」

 

「でも本当にそうなんですかね?」

 

(『熱帯』 P.43)

 

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